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本願寺、藪内御家元 御用達
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豆知識

■ 本願寺の歴史

本願寺は、浄土真宗本願寺派の本山で、鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開創された。その後、民衆の間に深く浸透して発展し、現代、わが国仏教諸宗の中で、代表的有力教団の一つとなっている。本願寺はもともと親鸞聖人の廟堂から発展したもので、聖人なき後は、教団の重要な中心を形成してきた。1262年、聖人が90歳で入滅されると、東山鳥辺野の北の大谷に墓石を立て、遺骨を納めた。その後、聖人の末子である覚信尼が吉永の地に遺骨を移し、大谷廟堂を建てた。その後、覚信尼の孫覚如上人は、大谷廟堂を本願寺と称し、真宗教団の中心にされようと努力された。

覚如上人の後、本願寺は、善如・卓如・巧如・存如の各上人をへて、漸次発展し、御影堂・阿弥陀堂の両堂も整ったが、室町時代中葉に8代蓮如上人が出るにおよんで、著しく興隆することとなった。しかし1465年、本願寺は、叡山僧徒の反目を買い、襲撃をうけて破壊された。かくて大谷を退出した上人は、近畿の諸地を転々としたが、やがて越前の吉崎を拠点として、北陸の諸地に布教した。この地で上人は、民衆の日常生活に即して平易に浄土真宗の法を説いたため、ひろくその教えは各層各地にひろめられた。その後、上人は吉崎を去り、摂津・河内その他各地の教化につとめ、1478年、京都郊外の山科に本願寺を再建した。上人は、1499年、85歳でなくなったが、40年にわたる活躍によって、本願寺教団はめざましい発展をとげ、その教えは、北は東北地方から南は九州まで普及する事となった。

その後、実如・証如・顕如の三上人の時代は、戦国の争乱期にあたり、本願寺もいつしか戦国諸侯の闘争の渦中に陥って動揺を続けた。1532年、山科本願寺は、日蓮宗徒や細川氏の攻撃をうけて炎上した。そこで蓮如上人が晩年に創建した大阪の石山坊舎に移り、ここを本寺とした。この頃、本願寺は、加賀を支配下におさめ、また全国にわたって門徒を擁していたので、その社会的地位は大いに向上していた。

1570年、雄大な社会的勢力に成長し、西国への要路を占める石山本願寺を天下統一の遂行にあたって見過ごす事ができなかった織田信長と11年間にわたる石山合戦となった。1580年、天皇の勅によって和議が締結し、本願寺は和歌山の紀伊鷺森に移り、その後和泉、貝塚を経て、さらに大阪天満へと転じた。しかし1591年、豊臣秀吉が京都六条の現在の寺地を寄進し、本願寺は再び旧縁の地へ移ることとなった。

京都本願寺の諸堂がほぼ完備した1592年、11代顕如上人が急逝したので、長男教如上人が後を継いだ。ところが、顕如上人の譲状が三男准如上人宛にしたためられていたので、教如上人は隠退して、北殿に住み、裏方とよばれた。その後、徳川家康が政権を握ると、教如上人は家康から烏丸七条に寺地を得て、1602年、大谷派本願寺を別立した。これより本願寺は東西に分立する事となった。

その後、天正年間造立の両堂は、1617年の火災で焼失し、1636年、13代良如上人は、御影堂を再建した。この頃、飛雲閣・唐門・対面所・白書院・能舞台等をそれぞれ整備し、1657年には黒書院、1760年に阿弥陀堂を再建し、ここに現在の本願寺の規模が形成された。
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